黒田幸者の秘密基地

うんこはうまい

2024/7/28

「うんこはうまい」ならば「うんこは臭い」は矛盾あり?!


以下は以前私がはてなブログで投稿した駄文である。


「うんこはうまい。」

この文章を読んで何を思うだろうか。筆者は狂っていると思うかも知れないし、稚拙な冗談として鼻で笑うかも。

誰としてうんこがうまいと信じる人はいないはずだ。これはなぜか。アインシュタインが言っても、ドナルド・トランプが言っても、そして僕が言っても信じない。

だが、君はうんこを食べたことがあったうえでそう判断するのか?

私は君のその不寛容性が問題だと思う。

実際に検証したことがないのにうんこがおいしくないと決めつけるのは愚の骨頂なのである。


これに対する反論をここで述べようと思う。

まずこれは極端な実証主義的を背景にしている。しかしアインシュタインの相対性理論が半世紀を経てマンハッタン計画で実証された歴史を見るに、必ずしも予測というものが無価値であるとは言い切れない。

うんこがまずいとなぜ言える?

これを読んだ貴方は

「うんこが美味しいわけがない!ふざけるな!まずいに決まっているだろう!」

と思うだろう。しかし厳密には「うんこがまずい」ということを私達は知らない。

しかしだからといって証明するために身を張って食べる必要もない。

ここからは「うんこはうまい」を否定する作業に取り掛かる。

証明

証明方法は背理法を用いる。

まずうんこの成分を調べる。 うんこは人間の胆汁や赤血球のカスといった老廃物、大腸菌や消化されずに残った食物繊維などから構成されている。

胆汁は強烈な胃酸を中和する塩基性であるという事から非常に苦いことで知られており、加えて大腸菌が出すガスなどの悪臭は口に含んだ途端に鼻孔にまで到達し、非常に強い吐き気を催すだろう。

うんこがうまいならば、我々は苦味と悪臭に対して喜ばしく感じるはずである。しかしこれは貴方が今まで感じてきた「うまい」という感情と矛盾する。(もし貴方が私と同じ人間なら)

よって「うんこはうまい」という仮定は否定される。

以上よりうんこはうまくないと帰結される。

まとめ

うんこを食すことなくうまくないと証明するには、既知の前提や過去の経験といったもの、そして論理構造の組み立てによって「うんこはうまい」を我々は否定する事ができる。

しかしどうか勘違いしないでほしいのは、うんこはうまいを否定するのにはこういった推理が必要であるということである。

うんこは汚い。だからまずい。こんなことを言っているやつはおかしいなどと言ってはよろしくないのである。

以下参考程度に

背理法

背理法はある命題の真偽はその命題の対偶の真偽と等しいという性質を用いている。

本来、「うんこはAである」ー>「うんこはうまくない」といった様に証明することが望ましい。 しかしうんこの性質Aのみでうんこがまずいことをを証明するのは難しい。

うんこのある一つの性質Aだけでうんこの味を論じるのは難しいのである。例えば悪臭の反例には納豆、苦味の反例にはコーヒーなどがある。 味を論じるのに必要な性質をすべて揃えるのは困難であろう。

そこで今回の証明は 「うんこはうまい」ー>「うんこはAでない」 という対偶を証明することにした。これは一つの性質だけを論じるので、すべての性質を参照する必要がない。 今回はうんこの匂いや苦味という性質を否定すると矛盾が生じるという方法で証明した。

帰納的考察

私達は生きている間に多くの苦痛を味わってきている。

例えば菌類に侵され、発熱したり寝込んだりする。中には腐敗したものを食べて病気になった人もいる。

このような経験から

Aは臭い ならば Aは体に良くない

と言ったように得られる法則性に基づく思考を帰納という。帰納法は例外一つでその法則が崩れうるものであるが、しかしおおよそ頼りになる。

演繹的思考

私達は多くの観察と実験によって知恵を持っている。

例えば我々は顕微鏡や医学、化学の発展などによって人間に悪影響をもたらす菌類や物質を知っている。

うんこを分析すれば、そこには多くの菌類が潜んでいる。その菌類は良くない物質を生成するものも含まれる。またうんこそれ自体が老廃物で構成されており、充分人体に悪影響をもたらしうると結論付けられるだろう。

このように

AはBである。Bは体に良くない。よって、Aは体に良くない

といったように一般法則から結論を導き出す思考を演繹という。演繹法は必要十分性を担保して予想立てていくので前提が正しければ結論も正しいと言える。