資本主義経済において私達消費者にできること
2024/08/17
私達にできること
消費者も資本主義の一員であり、何にお金を使うかという発想も持つべきだと思ったので記事にします。
資本主義とは
資本主義という言葉はあまりに強烈で、生活に根ざしているためにいろんなところで使われがちです。 ここでは「資本・生産・消費」3つを中心と考える市場を資本主義と呼ぶことにします。
今回はそのうちの1つである消費について考えていきます。
消費
フェアトレード
例えばコーヒー豆を買いに出かけます。商品棚には全く同じ原産国で
- 「A社:1000円」
- 「B社:1500円」
とならんでいるものとします。 ここで貴方ならどちらを選びますか? きっと安いA社のものを買うのではないでしょうか? 費用対効果が高い方を選ぶのは自然の発想です。
アダム・スミスの国富論によれば、価格競争は技術競争を促し、生産者はより良い生産技術を作ろうと躍起になる。 個々人は自分の利益を最大化すればよい。そうすれば神の見えざる手によって生産者も消費者も利益を被る。
やったね! 不合理な生産を続けているB社は淘汰され、我々消費者に優しいA社が生き残る訳です。
…本当でしょうか?
この現代においては例外もあるのです。 例えばコーヒー豆はその代表例です。「おいしいコーヒーの真実」という映画によれば、コーヒー豆やカカオといった商品の価格は我々先進国が半ば独占的に決めてしまっている現状があります。
例えば1杯100円のコーヒーから、生産者はいくら利潤を得たでしょうか?
半分の50円?
いやいや、そんなまさか。
生産者に入るお金はわずか0.1円程度だった時期あるそうです。(現在では) これは卸売り業者がいくつも生産者と消費者の間に挟まるために、利潤の取り分が損なわれるためです。
これではとてもやってられません。生産者達は次第にコーヒー豆より儲かる薬物を生産し始めることになります。彼らの日々の食事のため、子どもたちの教育のために稼がなくてはならないからです。
薬物が蔓延すれば、治安が悪化します。治安が悪化すれば国家の規律が損なわれ、私達の安心で快適な日常は脅かされることになるでしょう。
そこで誕生したのがフェアトレードという考え方です。原料や製品を適正な価格で取引することで、彼らに適切な金額で還元しようというものです。 「情けは人の為ならず」は「情けは結局は自分のためになる」という意味であり、まさしく自分のためにもなるわけですね。
SDGs
半ば詭弁のように使われるようになってしまったSDGs(Sustainable Development Goals:持続的開発目標)。 しかしこれは何も意識高い系の専売特許ではない考え方だと思っています。 例えば先程はコーヒー豆を例に上げましたが、これも立派なSDGsの一つ「貧困をなくす」を目指したものでもあるのです。
他にも、例えば公害は資本主義の失敗の例として有名です。 「今だけ、私だけ」という考え方の企業は環境やステーㇰホルダーにはあまり目を向ける余裕がありません。 かつてメチル水銀を垂れ流しにしたチッソはどうでしょう? 彼らの生産するアセトアルデヒドは確かに私達の日常を豊かにしたでしょう。 しかし水俣市で働く労働者の健康を著しく害し、巡っては消費者を傷つける結果となったのです。
一方できちんと環境に考慮して生産した会社の商品であれば、多少高く付くこともあるでしょう。 しかし長期的な視点で見れば、公害や地球温暖化による異常気象の災害といった被害額よりよっぽど安くあがるのではないでしょうか?
独占の恐怖
かつてスタンダード・オイルという会社がありました。 ジョン・ロックフェラーという人物によって設立されたこの会社は、現在の米国の「反トラスト法(独占禁止法)」のきっかけとなった会社です。
この会社の独占に関する逸話があります。 この会社は新規開拓をする際、まずは非常に安い価格で販売をしたそうです。そんな価格では他の競争相手は売れませんし、当然SO自身も赤字だったそうです。
しかしその後SOはその巨大企業の体力で我慢比べに勝利し、他の企業を駆逐すると元の値段に戻して販売を開始。消費者は法外な値段での石油購入を強いられたそうです。 独占すれば金額を企業は自由に決められますからね。(実際にはスタンダード・オイルの独占によって石油価格が下がったという研究もあり、議論の余地がある)
それを景気に独占禁止法が制定され、価格競争による適切な価格設定を法律によって保証する流れができたとか。
私達が「今だけ、私だけ」という発想をすれば、最終的に損するのは私達だったという一つの例ではないでしょうか?
神の見えざる手
資本主義での競争原理は経済学の中では公理のように捉えられています。 これはアダム・スミスの「国富論」に出てきた思想で、現在の自由市場を養護する思想です。 各個人が自己の利益を追求すれば、結果として社会全体において適切な資源配分が達成されるという考え方です。
- 企業:利潤を得るために市場の独占を画策。生産手段を効率化し価格競争に勝利する
- 消費者:効率化した製品はその分安くなり、お得に消費できる
- 投資家:生産設備などに投資し、企業が競争に勝利することで得る利潤をゲインとして得る
ほら、みんな得したでしょ?というわけです。
この考え方には色々問題があったようです。企業の利潤や生産物の価値は何で決まるのかといった問題です。 企業が競争や目先の利益を追求するばかりに、私達は公害やバブルといった資本主義経済の失敗を歴史上何度も目撃してきました。
もういい加減、「今だけ、私だけ」という評価基準は放棄すべきなのではないでしょうか? そもそも私達が神の見えざる手を採用した理由は「社会全体における適切な資源配分」ではありませんか!
なお実際アダム・スミスの「見えざる手」という語は「国富論」中で1度しか使わえれておらず、彼の考え方を知るには「道徳経済論」なども踏まえる必要があるとされています。
我々消費者にできること
例えば先述のフェアトレードを徹底すれば貧困をなくす事ができます。貧困は犯罪を招き、貧富の差は政治的分断を招くこともあります。 貧困をなくすことは人道的にはもちろん、私達の生活をより良くするでしょう。
ただ表面上の金額を見るのではなく、その金額には何が含まれているのかをより知る必要があると考えます。
我々消費者は商品の購入を自由に選択できる、非常に強力な権限を有しています。
より長期的・共同体的に良いものを購入することを心がければ、市場における需要曲線の形は「今だけ、私だけ」ではなく、 「社会全体における適切な資源配分」に漸近していくだろうと私は信奉しています。
例えば私は以下のようなことをなるべく心がけています。
行動 | 効果 |
---|---|
フェアトレードのものを購入する | 貧困解消 |
ものを買うときはなるべく地元で購入する | 地域活性化 |
本を買うときは新品のものにする | 作者への還元 |
環境に配慮した商品を購入する | SDGsの達成 |
我々消費者だけでは一気に世界を変えることは難しいかも知れません。 しかし少しずつこれを実践していけば、少しずつ少しずつ良くなっていくと私は思うのです。
参考文献
- A Smith “国富論”
- Marc Francis, Nick Francis “Black Gold” (2006)
- スーツ コーヒー農家には1杯あたり○円入る【フェアトレード】
- U Herrmann “スミス・マルクス・ケインズ: よみがえる危機の処方箋”
- 清水大吾 “資本主義の中心で、資本主義を変える”